大阪高等裁判所 昭和43年(ネ)1662号 判決
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〔判決理由〕一、控訴人ら主張の一、の事実は当事者間に争いがない。
しかして、<証拠>によれば、控訴人らが右一、で主張する即決和解(大阪簡易裁判所昭和三六年(イ)第九二八号事件)とは、被控訴人を申立人、控訴人ら先代を相手方とするもので、調書上次のとおり記載されていることが認められる。すなわち、「(申立の趣旨)被控訴人は先代に対し本件建物につき売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。(申立の原因)当事者双方は宅地造成等を目的とする東洋建設株式会社の役員であり、昭和三五年一〇月頃豊中方面の土地購入のための資金を役員各自が二〇〇万円ずつ負担することになつたが、先代に手持資金がなかつたので被控訴人がこれを調達したが、その頃先代はその所有にかかる本件建物につき賃借人と紛争が生じ嫌気がさし、これを二〇〇万円で被控訴人に売却することとし、その代金を前記借入金に充当することに合意が成立した。しかし、本件建物には金融機関の抵当権が設定されており、権利証も手許にないから、本件和解申立に及んだ。(和解条項)一、先代は本件建物所有権が被控訴人に属することを確認する。二、先代は被控訴人のため本件和解成立後直ちに、本件建物につき、昭和三五年一〇月一〇日付売買予約を原因とする所有権移転請求権保全仮登記手続をする。三、先代は昭和三七年一二月末日迄に本件建物に附着する抵当権その他の負担を消去する。四、先代は右義務履行後直ちに被控訴人に対し本件建物につき、昭和三五年一〇月二〇日付売買を原因とする所有権移転登記手続をする。五、先代は被控訴人に対し本件建物の敷地を本件和解成立後八年間無償で使用させる。
二、控訴人らは、右即決和解(従つて、その内容の登記原因とされた本件建物売買)は通謀虚偽のものであり無効である旨主張するから検討する。
<証拠>を綜合すると、前記和解成立前後の事情として次の事実が認められる。
(一) 先代はかねてから本件建物の一軒おいて東隣で化粧品、小間物等を小売りするタマヤ福重商店(但し、昭和三三年七月一日株式会社組織にする)を経営していたもので、本件建物(当時平家)を買受けるについては、将来その東隣の傘屋の家と交換して自己の営業場所を拡張したいつもりもあつたが、差し当りは二階を増築し、二階は商品置場等に使用し、階下は他に賃貸することとし(なお、本件建物の位置関係は当事者間に争いがない)、昭和三四年七月訴外木村初枝に右階下を飲食店店舗として賃貸したが(同女はここで「グリルこだま」を経営)、その後翌三五年七月頃になつて右木村に対し、賃料値上を内容とする賃貸借契約の和解調書作成のための委任状の差し入れを要求したところ(先代はかかる手段を被控訴人から紹介をうけた弁護士勝野昇―但し、後弁護士資格失格―から教わつた)、同女はこれを拒否し、これが原因となつて双方に紛争が生じた。そこで、先代は右賃料値上を実現するため、訴外大窪保(先代との関係は後記参照)らとの対策を相談の結果、その方法として正当な法的手続をとることなく、前記勝野弁護士の運転手をしていた訴外宮原嘉徳なる者に事件解決を依頼した。よつて、宮原は同年八、九月頃中津付近の暴力団の者七、八名を本件建物二階に住み込ませ、種々の方法で階下の木村の営業を妨害し、嫌がらせをし、退去もしくは賃料値上承諾を狙つたが、木村は却つて態度を硬化し、訴外熊谷弁護士に相談し、先代らを告訴したので、間もなく前記暴力団の一味は検挙され、また近所の商店からも先代や宮原らのかかる所為に対する苦情や非難が強くなり、事態は一層紛糾するに至つた。そこで、先代は自分の責任殊に刑事責任を免れ、また宮原の立場に外形上何とか根拠を与えて同人に迷惑を及ぼさせないようにするため、大窪や宮原らの示唆で一計を案じ、同年一〇月二一日宮原との間で「本件建物中二階部分を同人に対し飲食店事務所用として期間二カ年、賃料一カ月二万円等の約定で賃貸する」旨の内容虚偽の公正証書を作成した(右公正証書が虚偽無効のものであることは被控訴人もその供述で認めている)。しかして、被控訴人は右公正証書上に賃貸人たる先代の代理人としてその名を連らねその作成に立会つている者であり、これは被控訴人が先代から「困つているので協力してくれ」と頼まれ、これを承諾したためである。
(二) ところで、先代と大窪及び被控訴人との間柄は次のようなものであつた。すなわち、先代は前記のとおり化粧品等販売を業としていたが、昭和三一年五月には株式会社大和粧業を、同三三年七月には株式会社タマヤ福重商店をそれぞれ設立し、自らその代表取締役となつていたものであるが、右営業についてはかねてから前記大窪保もその取締役となつてこれに参画し、二人は事業上親密な間柄であつたところ、やがて、昭和三五年春頃になり大窪は宅地の造成、分譲事業にも手を出すようになつた。被控訴人(当時三四才)は建築士で、かねてから前記大窪と知己であり、また宅地造成等の技術に通じていた開係で、昭和三五年四月には大窪他数名が個人名義で買受けた豊中市内の土地につき、同人らからその造成、分譲等一切の依頼を受けたこともあつた(但し、この件には先代は名前を出していない)。大窪はその後右事業にも先代を誘い、同年七月四日東洋建設株式会社なる会社を設立し、両名は揃つてその代表取締役となつた。先代が大窪を通じて被控訴人を知つたのは恰かもこの頃であつたが、被控訴人としてはもとより大窪との関係の方が親密であつた。
(三) ところで、先代と前記木村との紛争はその後も一向に好転しないばかりか、木村は本件建物賃借部分の妨害禁止の仮処分をしてきたこともあつて(昭和三五年一二月二日)、先代には不利な情況となり、宮原関係の工作は全く効を奏しなかつた。しかるに、そのさい作成した前記公正証書には別に「先代は契約日より二ケ月内に宮原に対し本件建物の一、二階全部を売却する」といつた約定まで記載されており、そうでなくても先代としては、必ずしも気を許せない宮原に対しいつまでも本件建物の二階を賃貸した形式にしておくこと自体、不安も伴い決して好ましくないことであつた。
本件和解調書が作成されたのは、このような事情が重なつた昭和三六年七月七日であり、記載内容の登記原因とされた先代、被控訴人間の本件建物売買の日は、前記先代、宮原間の公正証書作成日の丁度前日とされている。
(四) 本件和解条項記載の被控訴人のためにする所有権移転請求権保全の仮登記手続(第二項)は、現実にはなされておらず、また抵当権設定登記抹消(昭和三七年六月二八日)後直ちになされるべき本登記手続(第三、第四項)も後記の如き福重家の相続争いの発生後である昭和三八年一一月一一日ようやくなされたに過ぎず、それまでの間に、被控訴人において先代やその相続人たる控訴人らに対し、右義務の履行について特段の通知、連絡、又は請求等をした形跡は全くない。
(五) しかるに、その後、福重家には次のような遺産相続争いが発生した。すなわち、先代は昭和三七年五月二九日急死し(このことは争いない)、その相続人としては妻である控訴人ハルミとその間の実子控訴人雅三があつたが、控訴人ハルミは実は後妻であり(昭和二四年六月一七日入籍)、先代には戸籍上、控訴人らのほかに先妻亡ユキエとの間の長男として登載された訴外福重孝敏(昭和一九年六月一〇日生)があり、同人も形式上は先代の相続人であつた。しかし、控訴人ハルミの知るところによると、右孝敏は、実は、先代の妹シツエの夫訴外福田善一と訴外亡福重ミチ子(先代やシツエの末妹)との間は生れた子で、先代の子ではないというのであつた。ところが、当の実父福田善一はかねてから妻子を鳥取県においたまま、先代方(すなわち控訴人ハルミ方)に住み込み、先代の営業の番頭格として引続き勤務しており、控訴人ハルミとしてはこのこと自体甚だ不本意であり、遺産相続、営業の承継等につき、次第に同人ひいては孝敏との間に対立関係が生じ、福田善一はやがて昭和三八年八月控訴人ハルミ方を出て前記大窪方へ身を寄せるに至つた。
大窪はこの頃から孝敏やその親族側に立ち、福重家へいわば後から入り込んで来た控訴人ハルミに対し孝敏のため遺産の分配方を要求してきたもので、かつて、「本件建物は自分の肚一つで被控訴人名義になる。」といつた趣旨のことを述べ、暗に被控訴人と相通じているかの如く振舞つたこともあり、また本訴提起後も控訴人ハルミの妹寺園都に対し木村の供託した本件建物賃料の行方に関連して「孝敏の相続権を認めれば、相談にのる。」といつたこともあつたが、被控訴人自身はこのような相続争いには何ら関係していない。
以上の事実が認められ、<証拠>は前掲各証拠に照らしにわかに措信し難い。
以上の事実によれば、本件和解(即決和解)は昭和三六年七月七日に締結されたにもかかわらず、その内容の登記原因とされた本件建物売買の日は、遡つてあたかも前記先代と宮原嘉徳との間の公正証書作成の前日である同三五年一〇月二〇日になされた旨記載されており、このことは少くとも外形だけからも、前記公正証書によつて発生すべき賃借権の成立につき重大な障害阻止事由となる売買契約の成立を肯定することになるから、被控訴人自身が直接間与した右公正証書の効力をいわば骨抜きにするこのような和解調書を、被控訴人自ら後日態々作成するということ自体甚だ腑に落ちない事柄であり、その作成事由が通常一般のもの、即ち事の自然的な推移によるものではないことを多分に推測させる点があり、これに加えて、被控訴人は現に本件和解の直前に仮装の公正証書を作成していること、しかも前記公正証書が明らかに虚偽、仮装のものであるのに、先代としてはなお必らずしも通謀の相手方である宮原を信用できなかつた経緯等に照らすと、本件和解もまた、今度は右の賃借人宮原に対する効果的な対抗措置を意図して、恐らくは意識的に右登記原因たる売買を作出、遡及せしめた一種の工作的企図ではあるまいかと推認することが可能であるばかりか、その和解条項の実現化の真意の存否の点、即ちその後被控訴人が本件建物の権利確保に特段の間心を示していない事実、本件建物の本登記が前記のような福重家の相続争いが決定的となつた後にようやくなされている事実、本件登記後も不動産取得税の納付をも忘失して滞納処分を受けた事実にも思いをいたすと、右和解の契約内容で登記原因とされた先代、被控訴人間の本件建物売買契約の真の存在は益々疑念を抱かれるところといわねばならない。
翻つて、被控訴人の主張、立証の側より検討を試みるに、被控訴人は、右売買は真実なされたものであり、その代金二〇〇万円は、先代が昭和三五年九月被控訴人らと共同で宅地造成事業をしたさい、先代が負担すべき豊中市走井三二一、三二二番地の宅地造成費二〇〇万円を被控訴人が現実に立替支払つたので、右立替金債権をもつて充当した旨、及び本登記手続が遅れたのも、先代が死亡し、約定の抵当権設定登記の抹消が遅れたためにほかならない旨主張するところ、被控訴人がその頃大窪や先代の宅地造成事業に関与したことのあることは前記認定のとおりであるが、果して、被控訴人がそのような貸金ないし立替金債権を有し、またこれに関連して本件建物を買受けたか否かの点になると、右主張にそう前掲証人福田善一や被控訴人本人の供述は、供述自体あいまいな点があり、全体として事の真相を述べたものとは受取り難い。また、本件和解調書には右二〇〇万円の債権は土地購入資金(宅地造成資金ではない)の立替金と記載されていて右主張や供述と異なり、また被控訴人が右売買当時東洋建設株式会社の役員である旨事実と異なる記載も存し(甲第七号証によれば、被控訴人の取締役就任は昭和三五年一二月八日)、さらに被控訴人が二〇〇万円(もしそれが真に右会社の事業たる宅地造成のための資金とすれば、右会社の経費たるべく、個人負担ないしその立替金としての負担は頗る諒解し難いが)を現実に出捐したこと自体を裏付けうる確証もなく(即ち、右金員はその出所も不明確で、父の株式を売つて調達したとの被控訴人の供述だけではたやすく信を措くことはできない。また、二〇〇万円もの資金を現実に立替払いしたというのに何らその担保を徴した形跡もなく、借用証は一旦取つたが、後に返却したと言うのみで、その証明はなく、勿論現存するとの証拠はない)、かえつて、前掲甲第一号証によれば、先代は昭和三五年七月一五日本件建物を担保に(乙区九番の抵当額)、株式会社タマヤ福重商店の名において自ら訴外全国信用金庫連合会から金六〇〇万円を弁済期昭和三七年六月二五日等の約で借り受けていることが認められ、必らずしも被控訴人から前記のような金借をする必然性はなかつたと言うべきである。<中略>
しかして、前記の本件和解成立までの諸事情に、反面右和解原因たる本件売買契約を証する資料の欠如を彼此綜合し、殊に実質上の右和解原因証書たるべき前掲乙第二号証がその目的物件の点において甚だしく不可解な表示を為し、右文書作成の意図につき所謂馬脚を露わしているが如き状況を参酌し、さらに、もし昭和三五年一〇月二〇日付の本件売買契約が真実存在したと仮定すると、右の翌日になされた前掲仮装公正証書による諸工作その他その前後にわたり先代が本件物件について払つた管理上の苦心や努力はその基盤を失うことになつて無意味に帰するという不合理(被控訴人は、前記公正証書の作成は先代に頼まれて協力した旨述べていることは前述した通りで、これらの工作がすべて実質は被控訴人自身の為めであるなどとは、一言も述べていないのである)を考慮に加えて判断すると、本件和解契約は、先代が生前前記のような木村との紛争経過に照らし、宮原との間に作成した仮装の公正証書の処置に困り、これに対する対抗工作として、再び大窪を介し被控訴人と通謀して仮装の和解成立を意図したものであり、もとより真実の本件建物売買はなく、それ故にこそ被控訴人もその後二年有余の間その権利確保に特段の関心を示さず、控訴人家の前記のような相続争いが決定的となつた後になつて大窪の意を体して突如単独申請の方法により本登記手続をしたものであると推認するに十分であり、他に右推認事実を覆えすに足る事情を証する確証とてなく、結局、本件和解、特にその内私法上の和解契約は仮装、無効であるとする控訴人らの主張は理由がある。(宮川種一郎 竹内貞次 畑郁夫)